島津義久の野望 第04回「同盟関係・VS大友家」

1582年9月
龍造寺家を滅ぼした勢いで秋月家の立花山城を攻略しようとしたところ攻撃対象にならない。まさかと思い同盟関係を調べると、なんと島津家と秋月家が開始時から同盟関係にあった。
九州を速やかに統一する必要があるが、同盟を破棄して威信を下げることはしたくない。
ちょっと遠征になるが大友家との全面戦争に突入することを決める。
先を見据えて同盟コマンドで調べてみると、中国の毛利家と四国の長綜我部家との同盟は可能だった。そのため二つの家を織田家との盾にして四国の河野家を滅ぼしてそこを拠点に京都に攻めのぼるのも有りかもしれない。
とりあえず今のところは秋月家に毛利家への盾になってもらって大友攻略へ臨む。

1582年12月
ようやく大友家の支城である城井谷城へ辿り着いて攻撃。
島津軍6100VS大友軍2935
12月10日には陥落。
大砲の脅威を感じる以外は圧勝だった
そのまま勢いにのり大友家の本拠地府内城へ攻め込む。

1583年3月
府内城攻略
島津軍5518VS大友軍5398
大砲攻撃でいきなり義久に直撃して出鼻を挫かれたが。
3月3日城門が開く。
一の櫓を守る立花道雪が強すぎるが先に進めるので二手に分かれて攻める。
3月13日武将二人が兵100以下になりながらも家久が立花道雪を撃破。
3月14日には敵の士気が下がり敵兵が逃げ始める。
3月17日には最後の城門突破。
3月20日に家久が櫓を占拠して士気が0になり勝利。
6名登用。大友宗麟も配下に加わったのでどうせなら大友家全員登用になって欲しかったが1城分は人数が増えたので府内城を拠点に次は四国進出を目指す。