島津義久の野望 第05回「九州内政・防衛戦・四国進出」

1583年4月
九州をほぼ手中に収める。

島津家
威信155 国数4 城数9 武将32名 総兵力22315
しかし現状では織田家には敵わない。
織田家
威信442 国数12 城数32 武将159名 総兵力148794

織田家に対する盾の意味合いでも長宗我部家と同盟を結ぶことを決める。
使者として鍋島さんを送る。2ヶ月かかるため結果待ち。
そして気は早いが兵を九州北部に集めて前線の府内城開発。
あとは開発が一通り済んだ内城から武将を何人か隈本城へ移動させる。

1583年5月
急に毛利軍が九州に向かってきた。兵力3748
当家か秋月狙いかわからないが対策を考える。
長宗我部家と同盟を結ぶ。
これで九州南部の心配はしなくて済む。

1583年6月
毛利の狙いは島津の支城の城井谷城だった。
すぐに兵を集める。歳久と義弘も派遣。
城井谷城防衛戦 島津軍3233VS毛利軍3748
義弘の活躍で6月9日に敵大将を討ち取る。

1583年7月
毛利家と開戦してしまったため前線の城井谷城には武将7名兵3500の状態で待機。
歳久と義弘を府内城に戻して四国の河野家への攻撃準備を進める。

1583年8月
よく見ると河野家が武将2人しかいない。
他に先を越される前に出陣。
そして隈本城を村でたくさんにしたので内政部隊を佐賀城へ派遣。

1583年11月
ようやく湯築城に到着
攻撃開始。
島津軍6000VS河野軍3200
危なげなく侵攻
11月8日敵の士気を0にする。
兵の損失132だけという圧勝。
河野家滅亡

湯築城を足がかりに四国への進出を開始する。

 


島津義久の野望08「湯築城攻略」