島津義久の野望 第16回「VS織田・徳川連合軍②」

1588年7月

義弘率いる第二軍が織田家深志城へ攻撃。

敵の大将は織田信長

島津軍5100VS織田軍4765(700は真田の援軍)

1日。門に到着

2日。義弘が混乱。門が開けられない。

4日。真田信幸を破り城門破壊。

5日。義弘が残り291になってしまったので前線から撤退。

9日。櫓占拠

10日。火矢で櫓が燃えて進みにくくなってしまった。

15日を終えて。戦況はよくない。兵力2833VS3126 士気65VS72

最後は本丸が厳しすぎるため動かず引き分け狙い。

士気を落とし兵の逃亡を試すが信長に士気を上げられて失敗。

引分けで終わる。

別働隊を合流させて野戦を挑まれても大丈夫なようにしておく。

義久本隊6400を浜松城へ向けて出陣。島津家全員に大砲を持たせる。

 

1588年8月

第二軍を撤退させる。

義久本体で徳川の本拠地浜松城を攻撃。

島津軍6400VS徳川軍13673(織田からの援軍2000)

倍の兵数との戦い

1日 絹の大砲が家康を捕える。

3日 開門

4日 家康に大砲直撃。

5日 織田軍を迎え撃つ

6日 櫓を占拠。織田軍を集中攻撃。士気は106VS39

7日 義久の大砲が家康を直撃。混乱しているので士気をあげることができなくなる。

   織田軍を殲滅。敵の士気は12に。兵が逃亡を始める。10638人が一気に9377人に

8日 家康の混乱が続いているので大砲攻撃を続ける。敵兵は逃亡して8033人に

9日 敵兵が6726人に減ったので突入開始

11日 大砲が家康を直撃して士気が0になり勝利。

大砲による勝利だった。

 

18国目獲得。9人くらい登用。支城の花沢城も降伏。徳川家滅亡。

 

1588年9月

織田軍が花沢城へ接近。

深志城はいったん保留にして駿府城を攻撃する。

義久率いる本隊6300で信孝率いる織田軍を攻撃。

島津軍6300VS織田軍2472

6日に勝利。

 

再度深志城に大砲作戦でいけないかと考え保留にしていた第二軍を進軍させる。

あと北部でこっそり織田軍が前田慶次率いる9将887の軍団に気を付ける。

 

1588年10月

離れ小島みたいな松ヶ島城へ別働隊進軍。

七尾城へ来た織田軍と野戦。

島津軍3600VS織田軍887 一撃必殺で勝利。5人を捕えた。なにがしたかったのだろう。

第二軍が深志城へ攻撃。(第二次深志城攻略)

島津軍5800VS織田軍6779(援軍真田幸村700)

1日 門に到着

2日 大砲が信長直撃

4日 真田幸村撃退

15日 敵の士気が下がって逃亡を始める。 士気66VS27

23日 再び敵兵が逃亡を始める。士気32VS27

26日 秀吉の大砲攻撃で敵の士気が0になる。

ほぼ大砲の勝利である。

19カ国目獲得

島津家 威信470 国19 城36 武将101 総兵力260221

織田家 威信205 国2 城7 武将37 総兵力51135

織田家の終焉が近づいてきた。